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小舟はここより流れ去り
小舟はここより流れ去り
مؤلف: 手本ちゃん

第1話  

مؤلف: 手本ちゃん
「川口幸絵(かわぐち さちえ)さん、ご逝去後、ご遺体を無償で病院にご寄贈され、胃癌研究に役立てたいというご意思で、間違いありませんか?」

幸絵は受話器を握りしめ、静かに「はい」と答えた。

「病院としましては、献体に対する要件が厳格で、その一つに、一切の薬物治療――痛み止めも含め――を受けられないことが求められます。この過程は非常に苦痛を伴うものとなりますが、本当に覚悟がおありですか?」

「覚悟はできています」

向こう側は一瞬驚いた後、「ご献身に感謝いたします。こちらで登録を承ります。約半月後に再度確認のメールをお送りしますので、ご確認ください」と答えた。

電話を切ると、真っ暗な部屋にはテレビの画面だけがぽつりと光っていた。そこには川口貞弘(かわぐち さだひろ)の医学インタビュー番組の生放送が映し出されていた。

MCが、なぜ彼の胃癌初代分子標的治療薬の特許が「幸絵」という名前なのかを尋ねると、貞弘は微笑んだ。その目には深い愛情が満ちていた。

「家内はよく悪夢を見るんです。自分が胃癌になり、もうすぐだめになるという夢を。私は彼女のためにこそ、癌克服の道を歩んできました。いつか特効薬を開発できれば、たとえ夢の中であっても、彼女がそんなに絶望しなくて済むようにと思ってのことです」

彼らの仲を知る研修医たちは、一様に羨望の表情を浮かべた。

「二年前、奥様が病院まで川口主任をお迎えに来られた時、ちょうど患者トラブルに巻き込まれてしまったんです。刃物が奥様に刺さろうとした瞬間、川口主任が咄嗟に身を挺してそれを押し止めました。刃物が心臓のすぐ脇に刺さって来たその時でさえ、川口主任は奥様の目を優しく覆いながら、『大丈夫、俺がいるから』と言ったんですよ」

「以前川口先生のインタビューでお聞きしましたが、お二人が出会われたのは平波市の豆島だったそうですね。今ではもうカップルたちのホットスポットになってしまって。この前、私と彼氏で写真を撮ろうとしたら、順番待ちでしたよ!」

健康番組はたちまち恋愛トーク番組と化し、MCまでが思わず微笑みながら尋ねた。

「お聞きするところでは、奥様とは幼馴染だとか。さぞかし月のように明るく優しい女性なのでしょうね。それがまさに川口先生の好みのタイプだったのですか?」

その時、ずっと隅で濃いメイクをした研修医が、「いいえ、川口先生がお好きなのは、黒いストッキングの、ワイルドなタイプですよ」と艶かしい口元をほころばせて言った。

現場は一瞬気まずい空気に包まれたが、貞弘はまるで聞こえていないかのようだった。

「俺が幸絵を好きなのは、彼女がどのタイプだからではなく、たまたまあの人が彼女だったからなんです」

幸絵はテレビの電源コードを抜いた。すると、広い部屋に突然、機械的な電子音が響いた。

「宿主様、貞弘さんは依然としてあなたを愛しているように見えます。もし後悔されているなら、癌細胞転送プログラムを終了できます。この世界で健康な体を取り戻し、貞弘さんと余生を過ごすことが可能です」

「貞弘のいる場所の映像を映すことはできる?」幸絵は直接には答えず、問いかけた。

システムは数秒躊躇した後、「規則には反しますが、もし宿主様のお考えを変えられるなら、お手伝いいたしましょう」と答えた。

幸絵はうなずくと、貞弘に電話をかけた。

ちょうど健康番組の収録を終え、車中にいる貞弘は、幸絵からの着信を見ると目を輝かせ、口元にかすかな笑みを浮かべた。

「どうした、俺のことが恋しくなったのか?」

「うん、いつ戻ってくる?一緒に食事をしよう。待ってる」

「すぐだよ、今ちょうど車で向かうところさ」

「そうだ、サプライズを用意しているんだ」貞弘は四角い黒ビロードの化粧箱を取り出し、蓋を開けた。中にはブルーダイヤモンドのネックレスが収められていた。

このネックレスは、幸絵がほしい物リストに入れてからずっと気にかけていたものだ。番組の出演料が入るやいなや、貞弘は待ちきれずに購入したのだった。

その時、貞弘は頭の中で、幸絵がこのネックレスを付けてどんなに喜ぶかをすでに想像していた。

すると、システムの声が幸絵の耳元で響いた。

「ほら、彼がまだ宿主様を愛していますと言いましたでしょう」

その言葉が終わらないうちに、キラキラと輝くカラーダイヤモンドのネイルを施した手がそのネックレスを取り上げ、その手の持ち主の首元に当ててみた。

その手の持ち主は、まさに今日「先生はワイルドなタイプが好き」と発言をした研修医だった。

彼女は前襟をわざと深く開け、貞弘の膝の上に座り、黒いストッキングに包まれた脚をその両側にたらしていた。

「私が着けると、似合う?」唇の動きで貞弘に問いかける。

「絵ちゃん、今から車を運転してるから、電話一旦切るよ」貞弘の喉仏がぐっと動き、吐息が一瞬乱れた。

「ちょっと待って」

「どうしたんだい?」貞弘の額に青筋が浮かび、明らかに我慢の限界だったが、それでも幸絵には優しく言った。

隠そうとしているのがわかるほど、電話越しに、幸絵は彼のやや慌ただしい息遣いを聞き取れた。

「貞弘、あなたはずっと私を愛し続けてくれる?」幸絵の胸は締め付けられ、声は自然と沈んだ。

「もちろんだよ。永遠に愛してるよ。裏切ったりするわけないだろう」彼の返答に躊躇はなく、幸絵を愛することはすでに肉体にまで刻み込まれているかのようだった。

幸絵がそっと「うん」と応じると、貞弘はようやく電話を切った。

しかし、投射された映像はまだ続いていた。電話を切った貞弘は、まるで束縛を振り解いた猛獣のように、身にまとわりつく黒い蛇を後部座席に押し倒した。

「俺が幸絵と電話してる時に乗ってくるな!」

「川口先生、どうして家庭的な良い男のふりをしてるの?あなたの幸絵ちゃんは、今あなたが私を押さえつけているって知ってる?」女の指が彼の唇に触れ、挑発的な口調で言った。

「黙れ」貞弘の声は低くかれており、何かを必死に堪えているようだった。

女が言い終わるのを待たず、貞弘は抑えきれずに彼女に唇を落とした。

二人の息が混じり合い、激情の渦巻きに落ちる。

貞弘が手を女の服の中に滑り込ませた瞬間、システムが投射された影像を消した。

幸絵は自嘲気味に口元をわずかに歪め、深く息を吸った。

「これで分かったでしょう、私がなぜ去らなければならないのかが」
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